パリに貢献した人生

貴重な作品を永続させるための基金

赤木曠児郎画伯は、亡くなる直前の2021年1月まで、情熱的にパリの絵を描き続けました。彼のすべての作品はFond de Dotation Kojiro Akagi(赤木曠児郎基金) に委任されており、その使命は彼の作品の保存と普及です。この基金は、Village SuisseにあるLa Galerie de Parisの常設展示スペースに使用されています。
赤木画伯は、助成金やイベント等を通じてパリに作品を捧げるすべての国の芸術家を支援したいと考えていました。
Fond de Dotation Kojiro Akagi(赤木曠児郎基金)への遺贈や寄付を通じて、パリの記憶の保存、日仏の芸術・文化の普及に貢献できる方を募集しております。この基金でアーティストの経歴と作品を紹介する赤木美術館を設立する予定です。

パリの日本人

赤木曠児郎画伯の作品は、パリの美しさを物語る偉大な証です。 1963年にエコールデボザールに就学するためにフランスに到着後すぐに、日本人留学生の彼はこの街に魅了され、疲れを知らずに旅をしました。散歩の途中に気になる物があるとイーゼルを置き、象徴的なモニュメント、建物のファサード、旧市街等を描画しました。
赤木画伯の作品は、独自のプロセスによって強調された建築と空間の厳密な観察によって際立った画風の特徴が出ています。

彼の作品は、輪郭を定義するために墨を使用し、次に水彩でそれらを着色し、元の色を復元しています。この画法から、赤または白の線が描かれた太い浮き彫りの彼の油絵が生まれました。彼は画集「赤木の版画パリ百景」に収録されているリトグラフとセリグラフも同じ画法で制作しました。

それぞれの場所の記憶を生かす

パリの街を様々な角度で非常に正確に表現してきた赤木画伯は間違いなく日本人の芸術家の中で最もパリジャンと言えます。そして、画伯はそれぞれの場所の記憶を考察することによって、「彼の」都市、パリの歴史の専門家になりました。
彼の作品はフランス(彼の130点の作品が保存されているパリのカルナヴァレ美術館、トゥーロン市立美術館)、日本、そして世界中で展示されています。また、フランス、日本、コートジボワール共和国、バチカン美術館等の多くの公開コレクションで彼の作品を観覧することができます。